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「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)《独在論》

著者: 馬場純雄   
出版社:
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価格: ¥300  2016/04/21 18:38更新


発売日: 2016/04/19
Kindle版リリース日: 2016/04/19

商品の説明

 永井均氏(日本大学教授)の「独在論」や<私>という言葉が有名になっています。この世界に多くの人間がいて、それぞれ主観的な心である<<私>>を持っているらしい中、その中のたった一人、つまり永井氏だけが<私>という特別な在り方をしている事実を指摘し、それを「奇蹟である」「決して自然科学では解明できない」と、永井氏は主張します。さらに、どの時代もその時にとってはその時が一般的な<<今>>ではあるものの、現実の<今>はなぜか他の<<今>>ではなくこの<今>なのかその理由が解らない、と永井氏は主張します。

 【『<私>の存在の比類なさ』、永井均著、2010、講談社】からの引用です。

 数億年前、地球は生命のいない冷えた天体であった。おそらくは自然の法則にしたがって、その天体の表面に生命が発生し、生命体のいくつかは意識を、そして自己意識を持つにいたった。この過程のすべてが自然法則に支配されていたと仮定しよう。どんな物質の配置が生命を、意識を、そして自己意識を生み出すかは、すべて自然法則によって決定されていた、と考えることができる。また、どんな脳状態がいかなる意識状態を生み、いかなる記憶を、いかなる人間性を成立させるかも、すべて自然法則が決定している、とみなすことが可能である。しかし、このとき、自然法則によってはけっして決定されないことがある。それは、このようにして成立した諸個人、諸精神のうちに、この私が含まれているかいないか、含まれているとすれば、どれがそれであり、どれがそれでないか、ということである。自然法則が決定できることは、せいぜい、特定の物質配列が特定の性質を持った人間を作り出す、ということである。そのようにして作り出された人間のうちに、私がいるのかいないのか、いるとすれば、どれがそれであるのか、これは決定されえないのである。//

 自然法則などを持ち出す必要はない。宇宙はながいながい歴史をへて生命を生み出し、人間を生み出してきた。そして、二〇世紀の後半になってはじめて、私はうまれ、今ここにいる。問題は、その過程をどれほど詳細に記述したとしても、そのときそこで生まれた人間が私であったという事実に割り当てるべき場所はない、ということである。宇宙が現実と全く同じ歴史的経過を辿ったとして、そのときそこでその両親から生まれ「永井均」と名づけられた人間は、私でないことも可能であった。だが、なぜかそれは私であった。なぜ、それが私であったのか、そしてなぜ、他の人間が私ではなかったのか、それはまったくの謎である。//

 ある人物が<私>であるという事実は、その人物の持ついかなる性質とも独立に成り立つ事実であることは、以上の論述から明らかであろう。全宇宙においてかつて成立した、現に成立している、これから成立するあらゆる客観的事実をすべて記載した膨大な書物があったとしよう。その書物には、永井均に関して真であることは、記憶や現在の身体感覚のような彼の主観的事実を含めて、すべて書かれている。しかし、そのどのページを開いてみても、<私>についての記述はない。だから、その本をどれほど詳しく読んでみても、<私>が誰であるかはわからないのだ。//

 <私>に関する想像は、現実世界においてそれがもつあらゆる性質を超越しうる。だから、今たまたま永井均である<私>が、他の人物であることさえも想像可能なのである。じっさい、<私>は永井均以外の誰であることも可能だった。つまり、<私>が永井均であることは偶然的なことなのである。//

 哲学は驚きから始まる。…。今の場合、驚きはこの私の存在というあまりに自明であるため通常は驚かれるどころか問題にされることさえない事実にある。その驚きは、過去・現在・未来の無数の人間のうち、この人間が、そしてこの人間だけが、私であり、他はそうではない、という事実の持つ<偶然性>と、それら無数の人間のどれも私ではない(私は存在しない)こともできたはずなのに、実際にはそうなっていない、という事実の持つ<奇跡性>という、二つの驚きに分解することができる。//


 簡単にまとめると、次の2つの謎になります。《状態選択の謎》=「なぜ自分の心は、他のM2、M3、…ではなくこのM1なのか?」。《存在選択の謎》=「なぜ自分の心M1は「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」。どちらも哲学で最大級の謎です。「SB量子神学」は「すべての謎をトートロジーに解消できる」と主張する理論なので、永井氏が提起しておられる謎にどう答えれば良いのかを、説明してみたいと思います。「SB量子神学」自体も、どうすればこれらの謎を解消できるか?という考察から生まれたものです。大変良質な演習問題です。

はじめに
【独在論1】他我の認識<Mi|Mj>=δij
【独在論2】《存在選択の謎》と《状態選択の謎》
【独在論3】なぜ、ぼくはぼくなのか?
【独在論4】【ぼく】の体験順序は無意味
【独在論5】{Mi}={{Mi}、p、q、r、…}
【独在論6】天動説と地動説
【独在論7】独我論の超克
【独在論8】C君が正解
【独在論9】<*>は<1>なのか?<1>’なのか?
【独在論10】「とってはばなし」
【独在論11】<私>と<今>の同型性
【独在論12】<Ti|Tj>=δij
【独在論13】E君とC君の論争
【独在論14】E君とF君の誤り
【独在論15】問題は二つにしぼられる
【独在論16】先生が誤りを認める?
【独在論17】宇宙の選択とモナドロジー
【独在論18】永井氏×、橋爪氏○
【独在論19】人間の心は神の分身?
【独在論20】「私は大澤である」はトートロジー?
【独在論21】質料・形相と他我認識の問題
【独在論22】「私」と<私>の定義(1)(2)(3)
【独在論23】現実世界の中心化にも二義性
【独在論24】「自分」と「自分’」の不可弁別性
【独在論25】ライティとレフティ
【独在論26】<私>と[霊魂説]
【独在論27】→M(t2)→M’(t3)→M(t4)→
【独在論28】コピー人間の【実在論】と【観念論】
【独在論29】M1→M2→M3→M4→M5は部分的に融合
【独在論30】まとめ
「独在論」批判(A)
「独在論」批判(B)
「独在論」批判(C)

 【独在論1】~【独在論7】は、メールマガジンの【No.71】~【No.77】と重複しています。この《独在論》は、これら【独在論1】~【独在論7】を編集し、さらに新しく【独在論8】~【独在論30】と「独在論」批判(A)~「独在論」批判(C)を加筆したものです。

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